97東北合宿:サイクリング部 ツアーエピソード
(数年絶ってから書いたもので記憶を辿って覚えているエピソードを並べてみました)
日記をつけていないツーリング、イベントにも興味深いエピソードがたくさんあるので
それらを思い付く度に記述しておこうと思います。
もし、参加者で何か知っておられる方がいましたらおもしろいエピソードを教えてください。
必要に応じて追加させていただきます。


97年 8月 東北合宿(新潟、蔵王山登山、松島、盛岡等)

 最も覚えていないのがこれである.......寝た場所の記録とかコースなどデーターが
まったく残されていませんから。写真もありません。当時、体育会系クラブの色にそまっていた
ためこういった無駄な物は一切受け付けない空気が漂ってましたので。
 また記録などつける心理的余裕など存在しなかったということです。
 京都駅で始めて会ったのは当時主将であった岩永氏であった。
そのときホームで話したのを覚えています。そのときは始めての遠出の旅というのもあって
正直不安がつきまとっていましたから、ツアー内容について訪ねていたと思います。
 このころはまだチャリダーにはなっておらず、まだ一般人的な感覚だったので
こういった旅のスタイルに不安があったということでしょうか。
 電車は雷鳥という東北行きの列車でこんな長距離列車も始めてでありました。
 つまりすべてがういういしい状態であったというわけですね。
この列車に乗っている人は他にもいたと思いますが、何故かベースの新潟駅につくまで
会うことはありませんでしたね.......

 向こうにつくとほとんどの人がすでについていたらしく、みな準備が完了しているようでした。
なので私も少々あせっていましたね.....結局組み立てを手伝ってもらいましたし(^^;
このころはまだ自分でセッティングしたりすることに慣れていませんでしたから......
 その後、信濃川の川岸のスペースに集まってテントを張りました。駅から少しいったところに
あるので機会があれば見てください。ベンチなどもあり良い空間だと思います。
 ちなみにここは2年後の北海道ペアランのときにも立ち寄っています。

 この日は信濃川河川敷ではお祭りかなにかあったらしく、やたら騒がしかったですね。
どんちゃんどんちゃんとタイコなどの音が鳴っておりました。
 そのノリかどうかはわからないのですが、飛来氏の名言『1回集合!』の1回目が発令(汗)され、
近大ラリーの踊りが何故かもようされました。この日も『1回って2つに別れている
感じがしないか』という議論も浮上したりと初日から重苦しい状況でした。
しかもこのときはこういった旅のスタイルに全然なれていなかったため順応するのも
難しかったように思います。
 2つに別れるのはある程度仕方ないと思う。気の許せる人とそうでない人が出てしまいますし。
まあその辺はなかしょうさんと同意見というところでしょうか.....

 「価値観の違う人間を引き合わせるのは難しく、無理矢理引き合わせても逆効果。
現に1回裏ではかなりお互いのことをいがみ合っているような雰囲気が形成されてましたし...
 であるからこそサイクリングという一つの事柄が1つのまとまりを生むきっかけになっていると思います。
私はこのくらいの感覚で良いと思ってますから....
 あと、みな自分の意見ばかり通そうとし相手の考えを理解せず自分の価値観だけで
動いている人が多いのも1回(当時)の欠点でした。ちなみに私が彼等になんのクレームを
出さなかった理由は勇気がないのと言っても無駄だから(笑)
最も1回全体がそうなっていて私も例外ではなかったわけです。
なかしょうさんはこの団体の各個人を自分勝手と称してますが(^^;」

 ちなみにコールマンを間違えてブスを持ってきたことにK山氏につっこまれたのもこの時。
そしてS氏はテントを間違えたりと初日からいろいろあったように思えます。
 夜にはチームの面々で近くの自販機へ向かい何やらお茶がどうとか言っていたように
思う。〜たしかりらく茶という珍しいお茶があるからためしてみないかということで
誰かが飲んであまり好印象ではなかったというもの。まああまり関係ないのですが。

 寝場所ですがベンチに寝袋を強いて寝ました。のちにこういったスタイルは
寒さに強いTという像を作るきっかけになるのですが......
 ちなみになかしょうさんは立場が弱いから外で寝ていると称していますが、実はそういう
ことよりも狭っくるしいテントより少々風が強くても安らげる外の方が良いということです。

 1日目は天気がよかった。出発まぎわにとある道のはずれでエールをかけたのを覚えている。
Sさんが早くも空気入れを黒いす氏(!?)に借りて入れ始めた。
 ものすごく非経済的な空気の入れ方にまわりは困惑している様子でしたね。
 セッティングの悪さはこのときの私と良い勝負でした.....
コースについてはまったく覚えていない(なかしょうさんの日記参照)のでなかしょうさんに
まかすとしてとにかく海岸ぞいを走っていて途中から突如内陸に向かうというものであった。
 道に関しては防砂林がある海岸道とちょっとした農地のいりくんだ道路。
また線路をつたったといった断片的なものしかない。
 すべてがなれないスタイルで景色を楽しむ余裕などなかったのである。
アトミ氏とは同じ班でありまして、アトミ氏が『これで海とはオサラバやな。こんど会うときは
大平洋やね』と言ってました。
 この程度しか覚えておりません。ちなみにこのときとまったキャンプ場は林の中の
ありふれたところだったと思います。このときはカレー(おなじみ)だったと思うのですが
私にはいきなりの試練が.....4合飯の罰が与えられていたのです。
 そう......サビついたコールマンを持ってきたペナルティとして......Sさんと同じく。
ちなみに一般人が4合飯なんぞ食べれるわけがなく私は2合ちょいでゲームオーバーでしたが...
Sさんはすべて平らげたそうです。しかしすべて平らげても『Sなら罰にならへんな4合飯』と
言われるあたりも気の毒であった。
 ちなみにこの日の夜も外で寝たのですが、未明に気温が低下しはっきりいって
寒かったですね〜にしてもこのころは全盛期といえる人数でありましたのでテントの場所取りも
熾烈なものでして1テントに4人というのも珍しくはありませんでした。
 しかも先輩のとことか気まずくて寝られませんし、窮屈もいやですしねぇ.....

 2日目も全然わかりません。なかしょうさんの記録では4時半起きだったそうですが
何を考えとんねんって感じでしたね〜こんな早くに起きて寝不足で事故でもおこしたら
どうすんねんって感じでしたよ。時間を早めれば良いっていうのはあきらかにおかしい。
そんなことよりも飯作りに参加せん輩をなんとかせいと思ったのは私だけではあるまい。
 つまり個人の意識をなんとかせんとならんでしょうが。
 日中走行中に居眠り運転をして3回K山氏に叱咤されましたが、私から言うと眠くなるのは
当然だと思う。体育会系は緊張感があってよいと思いますがすべてがおかしな方向に
進んでいたんじゃないかと思えるんですよ。なんか戦時中って感じで。
 あと河川敷で一服しましたね....たしか。荒川かなんかだったと思いますが、ちょっとした
砂利道が道路ぞいにあったので道草を食ったんですがね。なんかここで日なたぼっこする人とか
いたと思います。ちなみに昼缶はここで行われました。

 3日目は蔵王(約1800m)に挑戦した日で、サイクリングの醍醐味である登山でしたが
さすがに今の体力でそれが可能かどうか怪しいもんでした。
 そういえばT石さんが蔵王に向かう途中ですでにヘバってまして、アトミさんが
『T石さんストップや!』といいつつわざわざ止まってT石さんが追い付くのをまってました。
アトミ氏の良い部分ってのもあるんですよね〜
 蔵王の中腹というかそれまではいかないと思いますがとにかく途中までは班走行で
途中からはフリーランを行いました。ちなみに私もすでにフリーラン前にバテバテ状態でしたので
最初からドベを走っておりました。
 ちなみにこの日の記録はなかしょうさんの方が詳しいです。向こうの日記をどうぞ〜
初の本格的登山でギアも1、1でのろのろ運転でしたね...しかしながら走っているうちに
うまく流れにのってきてけっこう順位も上がったと思いますが。
 あまりこのときの記憶がないんです。ただ必死にやみくもに登ってましたので......
最後はけっこう抜いていたんですが、ゴール手前でよねしげ氏を抜くことは出来ませんでした。

 山頂には売店っぽい建物があり周りの風景は木々はなくスキーのリフトが夏場の雪のつもらない
草原の中にそびえたっていました。今まで感じたことのない新感覚に身震いしたほどでした。
 このとき始めて、このツーリングということのすばらしさを感じることが出来たのです。
やっぱり大きな目標に向かって達成したときの喜びはまた大きいのであると身をもって知らされ
ましたね。この後、普通の日常では決して見ることのない景色を幾度も見ることになりますが
アウトドアと自然の醍醐味を感じたのはこのときが始めてでした。
 多分ここに車できてもここまで感動はなかったでしょう。ポイントはここに自転車で
来たということでした。

 下りは『Down Hill』と称される猛スピードの山下りを経験することに.....つまりは山登りを
したあとにある山下りというわけです。普通の山なら単なる下りですが、こういった高山からの
下りはまさしくジェットコースターで60〜70kmを記録するほど壮快なものです。
 班走行で下っていたとはいえハンドル操作を誤れば対向車にドカーン!やコーナで衝突
なんてことがあるのであまり調子にのっていると大事故になりますからね。
 下りは風のためかやたら寒かったですね.....霜が顔に付着したくらいでした。
1800m上では夏でも肌寒いくらいでしたし。この辺も新感覚でしたね。
 梺におりてすぐのところに風呂屋があったので行ったと思う、料金は50円とけっこう安かった。
ちなみに私はせっけんをもっていなかったので同じN高であったスナ氏に借りたんです。
 この日は山登りなどがあったにもかかわらず比較的スムーズで場所交も問題なかったように
思える。ちなみにこの日はちょっとした公園(やや縦長で水道があり..)だったように
思えるがさだかではない、水道はやや炊事に適したつくりで流しが腰の位置にありました。
上回N氏が見張りにきていたのも多分このときであったと思います。
 この日が余裕あるものだと印象づけたのは夜解散後のフリータイムであったことはたしかなようだ。
このときコンビニに入って立ち読みなどした覚えがあるが、異国の地のどこにでもある
コンビニが逆に旅心をくすぐることもありましたね。とくに夜なんかはなんともいえない気持ちです。

 4日目はさらに気楽な日で松島海岸まで走っただけでした。
途中で2手にわかれてどちらか1つを選んで走ったような覚えがありますが、
私がどういう道を選んだかも定かではありません。
 松島で一旦フリーになるようでしたので楽しんでいこうと思いました。
このときは今のように金銭感覚が崩壊していなかったため、金の使い方もけっこうマメだったと
思います。であるためあまり無駄金をはたきませんでした。(しかしおみやげは買ったんですけど
松島というわけで伊達正宗の壁掛け...まあ無駄金はこれだけ(^^;)
 昼はたしかどこぞやのソバ屋でそばを食べましたがみな少ないと愚痴ってましたね。
私もそう思いましたけど......
 その後は松島の島々を橋をわたって観光しましたね。このときは一般観光客気分が
味わえたと思います。まあこういった観光地ですから、ここでフリーにしたということは
正解であったと思います。
 この日で覚えているのはこれだけです。あと寝場所は松島海岸そばの公園のような広場に
ロールマットを敷いて寝ました。けっこう快適に眠れたと思います。
 5日目は印象的なエピソードがあります。まずは女子班との合流......まあ女子は蔵王などの
苛酷なところは登れないとかいった理由だと思いますが、先輩のダブルKさんは
下手なチームSより全然体力があったと感じたのは私だけであろうか。
 待ち合わせは松島駅だったと思います.....多分。
 何かS氏がK井さんがころんだことについてS氏が持っていたテントに因果関係があると
もめてましたけどS氏って事あるべくに『4合飯』の餌食になっている気がする。
ちなみに98年もアトミ氏に因縁をつけられるのですが、それは98年の北海道ツアーを
見て下さい。あともうひとつが飛来氏の//8合コフェル米ばらまき事件の真相//ですが.....
直接的犯人は私です。私の肘が駅のコンクリート階段に立て掛けてあった飛来氏のチャリの
ハンドルに触れて事が発生したということなんですけど、結局、飛来氏がコフェルに米を
入れていたことについて意見が殺到し事件がうやむやになってしまったということでしょうか。
 この事件、私が関与していたことをどれだけの人が記憶しているのであろう。
多分、少ないと思う。私はあまり目立たない性格のためでしょう。そしてカリスマ性のある
飛来氏ですからなおさらでしょう。つまり先輩方にあまり意識されていなかったわけです。
この場合良いのか悪いのかわかりません。もし壮美氏あたりなら結果は違ったでしょう。
 なかしょうさんもこの事件についてふれておりましたがやはり情報がまがってましたし...

 この後のエピソードについてはかなり断片的なものしかないですね〜
断片的ばかりで申し訳ないのですが、なかなか良いエピソードがありません。
登り下りがけっこうある道だったと思います。
誰か坂でガラスを踏んでパンクしたらしいのですが........T岡さんでしたっけ?
 6日目の夜はとある丘の上のキャンプ場で休んだと思います。新幹線が近くを通っていました。
仙台を抜けてすぐあたりではないでしょうか?よくわかりません。
 やたら真っ暗な中をチームSの面々で歩いたのを覚えています。
星空がやたら綺麗でしたし、綺麗な街の景色でしたね.....

 7日目はどこかの公園だったと思う。曇りぎみで怪しい空模様に加え、怪しい光が
立ち篭めていた....そんな様子を見て誰かがノストラダムスとの因果関係を話題にしたように思う。
この日は上回に注意された後、今度は飛来氏の『一回集合!』の声によって精神的打撃が
大きい日であった。ちなみにこの日が4時半起きというとんでもない発令がされた日であった。

 ちなみに次の日、ちゃんと起きた人はほとんどいない。起きれるはずがない4時半なんか...
しかも起きて食事の支度をしていた自分が空しい気がする。
 何をしてもその動きを認めてもらえないのは正直悲しい.....ちなみに代表的なエピソードに
98年新歓合宿の//縁の下の力持ちT//の烙印を押されることになり.....

 最終日にいたってはだんだん都会っぽくなっていく景色がそのとき印象的だった.....
それだけですね。あと橋みたいなのを渡って市街地に入っていったってことですか。
あとついた後もフリーが続いたとのことですがあまり覚えておりません。
 岡本氏の収納作業とかしか覚えないし......あれはけっこうすごかったですね。
できるだけ断面積を小さくするために試行錯誤していましたから........
 あとは飲み会あとにパチンコしたくらいでしょうか?

 帰りは青森まで行ってちょっと観光し(ちょっとまわっただけ)寝台で帰りました。
ちなみに寝台派はよねしげ氏と黒いす氏だったと思うのですがさだかではありません。
もう一方は18切符派で東京へ行ったらしいです。
 あとは残ってツアーする人とリッチな新幹線、飛行機で帰る人がいたり様々ですね。
まあ、詳しいことは知りません。
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