ツアーエピソード
(数年絶ってから書いたもので記憶を辿って覚えているエピソードを並べてみました)
日記をつけていないツーリング、イベントにも興味深いエピソードがたくさんあるので
それらを思い付く度に記述しておこうと思います。
もし、参加者で何か知っておられる方がいましたらおもしろいエピソードを教えてください。
必要に応じて追加させていただきます。


98年 3月 四国合宿(土佐、四万十川流域、松山等)

 この合宿、中村市でおこった水害のインパクトが強すぎて他のエピソードが
記憶から抹消されてしまってます。このとき未だに自分でツーリングマップを買っておらず
記録どころではなかったというわけですね。

 行きのフェリーは大阪港から高知行きのフェリーにのった。
ちなみに同じフェリーに金子さんら追手門大のメンバーが同行しているのには驚いた。
チャリポリーからまだ日数がたってなかったし、おぉ!って感じでしたね。
 ちなみに北海道でも同行することになるのですが(^^;
 何故かフェリーでのエピソードはないですね.....あまりにも平凡すぎたのでしょう。

 一日目は中土佐の方へ向かったと思いますが、地図もないのでわかりません。
海岸ぞいのアップダウンがはげしい道でした。このとき私は絶好調で班走行無視で
一人快調に飛ばしてましたね。ちなみに飛来氏には『ナイフを持っている』というわけわからん
こと言われていたりしてましたけど.....失礼な!
 ちなみに『ナイフブーム』は飛来の中でしばらく続いていたのでちょっとしつこさを感じていました。
 ちなみにこのときの班走行はハンリの私の後ろに飛来氏であったためペースが激化し
前の班に追い付くことがしばしばであった。
 この日の反省会では私はこのことについて言ったと思います。
 やたら高い場所にある橋桁などリアス式の断崖の海岸ぞいに走る道路は面白いものが多かった。
一度どこかの駐車場のようなところで休憩した覚えもありますね。
 そしてこの日は記憶がたしかならば中土佐町のとある公園にテントを張って寝た日であると思います。
 この日は一つ支柱がたりないテントがあって壮美氏がガムテープで固定したようです。
ちなみに私はこのとき壮美氏のテントに寝させてもらうことにしました。
 しかも何故かまた寝袋を着ずに......次の日、岡本氏にまた着なかったんかい!とつっこまれました。
現に朝、足が凍えておりました。
 この公園で飯を作っているときやはり普通の公園なので一人の子供が興味深そうにこちらに
来ました。そしてまじまじとわれわれの支度を眺めているので、S氏が『こらこら、あっちいけ。シッ
シッ!』と追い返そうとしていましたが、そこにアトミ氏のつっこみが.....
『S。おまえ子供にこんなこと言ってはずかしくないか?』と...S氏のマイペースぶりが仇と
なってしまったようです。

 2日目は交通整理をしていた警備員に止められたことでしょうか。そしてよくわからない
うちにタオルとヤクルトをもらったと思います。このヤクルト合宿中に飲んでよかったのかね?
 この日は中村市まで行って場所交などをしたような覚えがあります。
 駅前がけっこう繁華街になっていて住宅地がたちならんでいる一般的な街でしたが......
寝る場所は四万十川河川敷となりました。まあ妥当でしょうね.......
 この日はカレーかなんかだったんでしょうか、飛来氏が鳥に向かって肉をあげておりましたので
そんな気がしたんです。後は飯の支度をしながら囲んで話をしたりする様子しか
思い浮かばんのですけど.......この日は特に問題はなかったようです。
 私の記憶がたしかならばこの日か1日目に壮美氏のコウリの判断によってフリーランを決行したと思う。
このときも絶好調であったため中尾氏と良い勝負をしていました。(2位)
 中尾氏はやはりレースのプライドのためかかくぞうを積んでいることをアピールしていました。
 なんか文化祭の格戦ゲームのS氏のような条件つきだということを知らせるように.......
あれも一部の人を除いてS氏がそうとう手を抜いていると気付いてませんでしたから(^^;
 やっぱその世界のうまい人は格下の相手に実力で良い勝負をしたと思われたくないのかもしれません。
プライドが許さないわけで........

//中村市水害事件//
 .....がしかし未明から大雨が降ってきて四万十川のかさがどんどん増えてきました。
そして朝になるとなんか冷たいなぁ....って思ったのです。
 シェ〜!テントの床がプールになってる〜!!
 あまりにも突然の参事に焦りました!!外を見るとどっしぇ〜!!昨日までは水が流れてない
はずの部分に濁流が......しかもそれがテントに流れ込むぅ〜!!どっしゃー!
 高架橋下においていた皆の自転車がピンチになっていた。特になかしょう氏の自転車は
半分までつかっていて水没寸前だったのだ!しかも誰も助けようとしない。
 無理もない.....皆自分のことで精一杯だったからである。
 なんとかこの状況を切り抜けたが、朝昼と食事にのどがまったく通らなかった。
みな葬式にような状態になっていて誰もしゃべろうとはしなかった.......
 コールマンに火がつかない...雨で湿っているからである。
 コッフェルで御飯がたけない....風で温度が上がらないからである。
 芯があるどろどろのおかゆが出来た。みな無言で食べた.....ゴアにうちつける雨の音が
妙に木霊した。完全に意気消沈である。天候のこともあったのでこの日は中村市の公民館で
休ませてもらうことにしました。
 とにかくすべてがびしょびしょといっても過言ではないのでそれらの整理をした。
この日の晩は何を食べたのかまったく覚えていないが、別にたいしたことではないだろう。
 地元のせんとうにS氏と行ったと思う。この他にももうひとつ市営の大きいところが
あったようだが.......。ここは普通の風呂屋で10円肩もみ機などがおかれていた。
経営はおばあちゃんでいかにも昔ながらという感じがしました。
 しかも私達以外だれも来ていなかったので、まさしく貸きり状態で得した気分でしたね。
 ちなみにこの日はちょっとした一日をすごせたと思います。
 S氏と共に行動していたので他の人がどこで何をしていたのかもさだかではありません。
 ただ、よねしげ氏が帰ってくるのがやたら遅いのが気になった。何をしていたのだろう。

 4日目は走っているだけだった。というか走っている記憶しかない.........
 途中、岡本が阪大のシュワッキーさんに会ったということであるが、残念ながら私は知りませんでした。
とにかく四万十川の上流を目ざすような形で森の中の狭い小道をひたすら走っていましたね.....
後日、彼女からのツアー葉書が送られてきて気付くのですがね(^^;
一日中走りっぱなしだった。SさんがN島さんに「ここらへんにしときましょう」と催促していたが
N島さんは意見をかえずに「いやもっと行く」と言って走りつづけていた。
この日は合宿としては最長の105Kmを走行したと聞きました。
この日は夕方の遅い時間にようやく八幡浜の市役所に辿り着いたのだ。Sさんもお疲れムードになっていた。
市役所に寝る場所を交渉すると、近くに公園があるそうなのでそこにしました。
 ちょっと多きめの公園でトイレがあり運動場もけっこう広かったと思います。
市役所前なので行ってみたらわかるでしょう。
 テントは大胆にも舞台の上にたてることにしました。まあこれだったら水が入ってくることは
ありませんしね。ちなみに飛来氏の名言『皿洗いなんて誰でもできる』を唱えたのはこの場所だと
思うのですがみなさんはどう思うでしょうか?私も記憶がたしかではありません。
 いずれにせよ、この言葉が我々の機嫌を損ねたことは間違いないようです。
 飛来氏の数々の言葉は筋が通っていたと思う。(ただしS氏は全部否認していたが.....)
私もこれらの忠告に対しては気をつけるようにしていましたし、何よりクラブ活動がより
しまったものになっているのでこうしたシップは大切だと思います。
 ただ、クラブ全体としての役割というものを考えれば問題があったように思える。
 たしかに飛来氏が率先したリーダッシップや場所交などの行動力はクラブ全体として
重要であり意味のある仕事であると認められるであろう。何より解りやすい......ただ忘れては
ならないのは常に下で地味な働きをしていたのは我々である。
 朝飯は我々が作っていた。飯が出来るころに出てきたのは誰であろうか。
晩飯の後、何をしていたのであろうか。いや...別に彼が何をしていようと興味はない。
 この発言の最大の問題点は我々のクラブとしての役割を否定されていることにある。
 皿洗いが地味だから重要性が薄いというのは明らかに間違い。これもれっきとした仕事である。

 彼はポリシーから絶対に皿は洗わない、証拠に彼が洗っているところを見たことがない。
もし『誰でもできる』というのなら、明日から自分で洗ってください...一人で。
洗わないでしょう......この仕事は我々しか出来ません。何故なら我々がやらなければ
誰も率先してやらなかったからです。皿洗いばかりやっているのではなく誰かさんが絶対に
やらないから我々がしていただけ.......
 ちなみに北海道ツアーにおけるなかしょう氏も私から見れば同じようなもの。
私が勝手に洗っていると思っているだけ。
 私は彼がやっていることを否定するつもりはありませんが、自分の視野、価値観でしか
物事を判断していなかったのでは?
 それだけで何もしていないと思われるのは心外である。
 我々からの視野から見ても飛来氏が何もしていないと思ったことも多々ありますから。
 要はお互いの仕事の意味、重要性を把握し認めることが大事であろう。
 私がクラブの仕事をやらなければ合宿のスケジュールそのものが狂っていたとも断言出来ます。
 誰も見ていないだけ、知らないだけです。地味ですから。

 そういえばこの日の解散後あたりからクラブとしての方針がほころび始めたと思う。
何故かマクドとか行く人が現れたのだ....昔からそうだったんだろうか?いや少なくとも
去年の夏合宿ではそんなこともってのほかって感じだったんですけどねぇ.......
 この時を境にしてどんどん崩れてくるんですが、やっぱり一度崩れると駄目ですねぇ。

 この日も私は雑魚寝をしたと思う。風が心地よかったし暑苦しいテント内よりも良いんですよ。

 5日目の朝はまずまず撤退は早かったように思う。やたら騒がしかったためだ。
おそらく遠足かなんかでここに集合してきた学生かなんかだったと思う。みなジャージであった。
しかも朝飯の時間であったため、よけい気になった(最も気になっていたは向こうの方だったかも?)
 出発からいきなり山で、途中からフリーランになった。
 このときはまだ中尾さんが現役であった。かくぞうを積んで走る中尾氏...なつかしい。
 ちなみに私は前半の激走の反動で足に筋肉痛が走っていたためまともに走れませんでした。
この日、中尾氏にくいさがったのはよねしげ氏であり、下から2人が争っているのが見えました。
 どちらが勝ったのかさだかではありませんが、やはり中尾氏はかくぞうのことをアピールしていました。

 山を登れば海が見えるという言葉があるようにこの峠をこえたときには海が見えました。
ダウンヒルをしているときの海は目の前に景色が広がるのでより見晴らしが良いと思います。
 風を切りながら壮快に海を眺めるのは非常に気持ちがよかったと思います。
 山下りは幾度となくくり返してきましたがこの日の山下りは得に壮快だったと感じます。
 下ってからは松山の方面へひたすら海岸を走っていました。
 途中で、どこかの海岸辺....公園かもしれません。海岸のとある広場みないなところで
けっこう長い時間休憩したと思います。海釣りの拠点みたいなところでした......
 コンクリートの足場(防波堤なんですかねぇ)を歩きながら海を眺めてましたし。
そしてその端の部分まであるいて昼寝までしたくらいでした。
 この日の晩はとても奇妙なところで寝た憶えがある。海岸ぞいの公園のような広場のような
よくわからないところで.....最も謎だったのが土俵があることか、珍しかったですね。
 炊事場はさすがになくてたちかトイレの水道で飯の支度をしたと思う。しかしトイレとは
いっても水道は比較的大きく炊事場としても十分であった。そこでまた飛来氏とS氏が揉めていた。
S氏の態度が気に入らなかったらしい。飯作りの配分などで揉めていたのであろうか?
飛来氏は今にもS氏につかみかかろうという勢いであり、壮美氏に止められていた。
 S氏はムスッ!とした顔でもくもくと米を洗っていた。私は少し目撃していたが詳しい理由などは
おそらく本人等しか知らないであろう。食後もこれが尾を引いていたのは明らかで飛来氏は
この日も怒っていた。にもかかわらず何の話をしていたのかサッパリ覚えていない。
 現にあまり興味がなかったので一人でカレールーを削っていたくらいだ........
やはり飛来氏に当たられてしまったのですが。

 .....突然、私と岡本氏を残して他の部員が失踪した....一体どこへいったのだ?
岡本は『お〜い、いるか〜』とみなを探してまわった。突然として消え去ったのである。
しかも、街中から少し離れている場所だったので暗くてよく見えない。
ほっとかれたことで岡本は激怒し、今後の反省会でこの話題を言っていたことは言うまでもない。
 みな移動してしまったのだ、近くの体育館みたいな場所に........
 こんなところに入って良いのかと思いましたが、ここって一体何の施設なのだろう?
ちなみにテントを張った場所も場所であった。体育館裏の砂利通路だ。
 というか何故移動したのかも意味がわからない、しかも私と岡本には何も伝えられて
いなかったのだから。ゲリラもここまでいけばすごいもんである。
 解散後はちょっとブラブラしたかもしれないが詳しいことは知らない。

 最終日はその体育館のようなところの表で食事をした。最終日はパンと決まっているため
準備は必要とせずスムーズだったと思う。しかしながらこの施設は何の施設だったのか
未だに解らない。表はタイルかなんかの床があってけっこう広かったように思うのだが.....
 松山には昼前についてしまい。駅前でぶらぶらしたと思う。そのうち警察がきてここには
駐車してはいけないとのことで場所移動したわけですけど.....
 夕方ごろまでフリーってなわけで、それまで自由行動となった。
何故かみなとはぐれてしまったので、一人で松山を観光することにした。
観光といっても道後温泉とかではなくて単にパソコンショップへ行ったりスーパーへいったり
すでにお遊びモードになってしまってたんですけど(^^;周りは何をしていたんでしょうか?
 フリータイムはそんなことしかしてませんねぇ.......
 昼間は懲りずにマクド。先輩、同回とともに........すでに合宿じゃない.....
 集合場所は多分駅ではなくどこかの広場のようなところだったと思う。
下は土で木がたっていておちついたところ。何故ここを集合場所にしたのか。
 飲み会はごく普通に終わったと思う。特に印象的なことはない。覚えていないだけだって?
まあそう言われれば言いかえせないんですが。
 店員の行為で泊まっても良いとのことでしたがさすがにこの大人数を泊めるのも迷惑がかかる
のでやっぱり駅前で寝ることにしたわけなんですが。
 ちなみに夜はほとんど寝てません。何故ならみな近くのゲームセンターに未明まで
いたからですね。しかしあんな夜遅くまで開いているゲーセンって珍しいですね。
 普通12時くらいでしまるだろうに........Sさんも競馬ゲームモードになって評論家に変貌していました。
他の人はボーリングでもやっていたんですかねぇ。
 このころにはすでに緊張感がまったくありませんでした。

 帰りはA氏の提案で18切符で帰ることに.......四国のときはほとんど寝てました。
というのも寝不足だったんで......そいえば瀬戸大橋の橋の下に海が広がっていて良い景色でしたね。
まあ帰りの印象はこのあたりでしょうか?あと岡山駅のホームとかですね。
 次は未開の地北海道だなぁと胸をふくらませていました。
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