新歓コンパ:サイクリング部
ツアーエピソード
(数年絶ってから書いたもので記憶を辿って覚えているエピソードを並べてみました)
日記をつけていないツーリング、イベントにも興味深いエピソードがたくさんあるので
それらを思い付く度に記述しておこうと思います。
もし、参加者で何か知っておられる方がいましたらおもしろいエピソードを教えてください。
必要に応じて追加させていただきます。
98年、99年:新歓合宿:(大東市→生駒市→木津町→笠置町→奈良市)
こちらもほとんど記憶がない.....あまり印象的なエピソードがないのだ。
そういった意味では97年よりか断片的であるといえる。
しかもこの合宿を境にしてM島が止めてしまった.....荒らすだけ荒らして
去っていった謎の人物である。去年だったら大顰蹙を買っているだろう。
酒の席で一人で暴走して吐いて....もうさんざんであった。
そういえばM島はこの合宿以来、行事に参加することはなかった。
//親戚殺し事件//である。彼は親の葬式だとか親戚の葬式などという理由でサボり
しまいには勝手に止めていったのであった..........
あと和田という後輩であるが、彼ものちに止めていった人物である。
彼は私の声を「しぶい声ですね〜」といっていたのを覚えているだけで
あとはサッパリである。まったくもってエピソードがない。むなしい〜
彼が止めずにのこっていればそねもおいこまれることはなかったと思うのであるが...
そういえば止めていった彼等は今後ツアーをやったのであろうか?さだかではない。
ちなみにM島についてはおそらくありえないであろう、彼はK鬼氏の自転車を
借りておきながらいちゃもんをつけていた.....ちぎられるのは自転車の性能がどうとか...
文句言う前に自分をもっと精進せんかいと思えてくる。
私の1コ下2コ下の後輩はあまりよい環境でなかったように思える。
まず部員が少なかったためか極端に話せる人がいないわけだ....これは感じたものでしか
わからない苦痛であろう。私も一歩間違えればその中に入っていた恐れもあるのだ。
今の学年でつくづくよかったなぁと思う。
ちぐはぐな学年ではあったものの人数は多かったし、最もツアーを楽しめたのではないだろうか。
これほど数々のエピソードが残っているのもそれのおかげだと思うし。
私達は残念ながら後輩にツーリングの楽しさを伝えることが出来なかったということか。
無念であった.......そういえば2回になったときのクラブ勧誘のチラシには少し不満があった。
レース班が書いたこともあり、どう考えてもレース主体で書かれているように思えたのだ。
あれでツアーの色が薄くなり、入部希望者が少なかったのではないかと思えてくる。
あれじゃサイクリング部というのが競技だと思われても仕方がないのでは...と。
間接的とはいえツアー班は私達の学年が潰してしまったのではないかと感じてしまうのである。
残念なのは下の学年がツアーの醍醐味を知らないまま止めていったことであろうか。
99年のひらのと桃井については成りゆき上、あのようなことになったのであるが....
まあこの2人の後輩については信州合宿でのエピソードで明らかにしたい。
98年の3人については明らかにツアーの本質を知らないまま終わったのではあるまいか。
なかしょう氏が最近の若者は早く良い結果を得たいがために楽な方向にすすみがちであると言っていた。
それはつまりアウトドアにおいてもオートキャンプ形式になったりと手間いらずになって
きているし、旅行の形態においてもパック旅行などの全部向こうが用意してくれるといった
ものがあったりする。であるからしてわざわざこんな回りくどい旅行を何故しなければ
ならないかと疑問になるのであろう。多分、一般人もそう思うに違いない...と。
現に私も新歓合宿の始めの感想は苦渋そのものである。良いエピソードがまったくない
(97年新歓合宿参照)
ただ、続けていて少しづつ意味がわかってきたのである。
苦しいこともすんでみれば良い思い出になりましたし、逆にこの人生観が変わるような経験によって
青春時代の一ページを刻むことが出来たように思います。
得たものが多くこれからの生活に大きく影響をおよぼすものになるであろうと思います。
99年のエピソードもあまりない.......良くも悪くも在学中、先輩気分を感じることもなく
終わってしまったことであろうか。四国合宿で『これで皿洗いともお別れやな、なんか恋しく
なるな』とか言ってましたが、全然恋しくならなかったのが逆にうれしかったかも??
2回になってから3人がツアー班として入ってきたのですが2人がやめたため、その
役回りを私等がやらないといけませんでしたし、3回になってからはその習性がとれないまま
自分でテントを張り、飯を作ってましたからね......
そのころはもう先輩、後輩の関係も打開されてました(^^;
良いのか悪いのか.......でもおかげで私達の学年が一番楽しめたのではないでしょうか?
決して先輩にはなることが出来なかった学年、しかし一番ツアーを楽しめた学年だと思う。
壮美氏は知らないであろう話。実はテントをたてた際に
私はテントが飛ばされぬよう角に石をおいたり様々な下準備をしていたのですが、
壮美氏は「しっかりはたらかにゃあならんでT」と言っていた。
それをよねしげ氏は『縁の下の力持ち』といっていたが......
別にショックじゃないけどねぇ、いつものことだし。
つーか、私自身があまり目立たない性質であるがためか今までその働きを認めてもらったってことは
少ないんですよね。別に知らせたいわけでもなんでもないけどね。
主務の仕事もけっこう出来たと思うし、最も岡本氏が顧問にハンコを求めにいったわけですが、
別に私も行ったしそれ以外はすべてやったと自賛できる。
正直言って一番朝早く起きて飯の支度などしていたのは私である。誰も見ていないが。
みな誰も見ていないし意味のないことだと思ってもう少し寝ていようとか思っていたのではないだろうか。
それに比べたらいくぶんマシであると思う。
これを勝手にやっていたと解釈するのは全然かまわないのですが、何も知らんくせに勝手な判断で
無能なあつかいをされるのはしゃくに触ることはたしか。
あと何年の新歓合宿か忘れたがだいぶ昔のOBさんが来てくれたことがありましたね。
あのときはこのクラブも伝統があるんだなぁと思いましたし、歴史を感じました。
逆にこの伝統のあるクラブを自分達の代で終わらせてしまったことに申し訳なさを感じました。
0Bさんの時代だと20〜30人くらいいたそうですから.......
あのOBさんはまた笠置の地を訪れることがあるのでしょうか?だとしたら...今はもう
訪れることもない地を我がクラブの団体を求めて捜しまわっているのかもしれません。
切ない......GWに笠置へ行って確認してみてはどうでしょう。
99年の新歓合宿で揉めたのは夏どこにいくかということ。今までの流れから信州ということに
なっていたのですが、このころにはクラブの方針もかなりいいかげんなものになってきており
各自の好きなところでも良いのではないか?みたいな話になっていた。
私達が入ったころはもっとクラブの伝統といったものが確立されていて、流れには逆らえませんでしたし。
で、信州派と北東北派に別れていたのであるが、私は北東北派であった。別にSさんのように
信州の山がイヤってことではなかったのですが、のち北海道へツアーに行きたかったため
経済的なロスが少ない理由でそっちにしていたのであった。
ちなみにS氏だけが北海道派であるが、飛来氏にくだらねぇだろ!と一喝!仕方なく北東北へ。
黒いす氏とよねしげ氏はやはり安全な方へ長い物に巻かれた。
して北東北になったのであるが、のちN島氏から『信州は体験した方が良い』の一言で
飛来氏の判断で半ば強引に信州になったのである。S氏はかなり不満をもらしていた。
しかしこのとき信州になったことが後にツアー至上、最凶かつ最高のエピソードの数々を残すことに
なるであろうことは知る由もなかったのであった...今だから言える裏側を徹底公開したい。
これは信州合宿で明らかにするので後程。(99年信州ツアー参照)
同じ高校であった辻井さんには本当に失礼なことをしたと思う。
97年の忘年会でOB辻井氏の名前を覚えていなかったのは本当にヤバいと思いました....
これが後に初対面の人に対し名前だけは最初に覚えようと思った理由なんですけど。
当時4回の名前、サッパリでした....あんまり良い印象の人いませんでしたし。
特に耐久ランのときの向こうの無神経さには不快を感じましたし....
怪我をした人間に対して対応したり連絡を待ったりしていたって思わなかったのかねぇ。
それに対して「早く行け!」はないですわほんまに。自分等、はよ帰りたいだけちゃうの?
あと.....謎の連載紙、茶利待夢....どうなったの?っと聞きたいがタブーのような気がする。
わずか1、2回の連載を持って謎の廃刊にいたった(!?)あの連載紙は。
当時、K山氏が部室にて辻井さんがそのような連載をメールマガジンの形でやるようなことを
聞きまして事実、そのメールマガジンもけっこう楽しませてもらった気がします。
主軸となるおすすめスポットも未だに保存してあります(後程移転予定).....
その他、クイズのようなものもあったような気がする。復活したら良いかなぁとも思う。
私がそのおすすめスポットを旧HPで紹介させてもらったのですが、そのとき辻井さんには
喜んでいただいて私もやっと和解できたかなぁなんて思っちゃってたんですが(^^;
しばらくは緊迫状態が続いてましたしね。(飲み会以前にもあいさつなし疑惑なんてものも
あったらしい...ちなみに私は辻井さんが文化祭の席に来ていたことなどまったくしらなった。
(営業のため...個人の観点で勝手に判断されるのが私の辛いところである。ちなみに一度、桐山氏が
主将のとき私が部会を勝手に欠席していたとされていたこともあった)。
ちなみに茶利待夢というネームは使えそうなので後、HPタイトルにしようかなぁなんて
思っちゃったりしてます。
98年の新歓合宿は私がコウリであった.......奈良公園を向かう山の下りであったが、
突然の雨にさらされてもうたのだ。結局、多くの人が濡れて、何故もっと早くゴアストップを
しなかったんだと攻められましたが、あんな坂の途中でいきなりとまってくれだなんて
無理なもんですよ.....
ちょっとした道が広いところで止まったんですがね.....
98か99年かわすれたが、大工のサイクリング部と会った日があった。
みゅ〜氏にも突然あったのでびっくりしました。
腐れ縁もここまでいけばたいしたものである。ちなみに麻雀大会もしたし
プライベートであうこともしばしばあった。今でもネット友人である。
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