信州合宿:サイクリング部 ツアーエピソード
(数年絶ってから書いたもので記憶を辿って覚えているエピソードを並べてみました)
日記をつけていないツーリング、イベントにも興味深いエピソードがたくさんあるので
それらを思い付く度に記述しておこうと思います。
もし、参加者で何か知っておられる方がいましたらおもしろいエピソードを教えてください。
必要に応じて追加させていただきます。


99年 夏  信州合宿『後編』(松本、志賀高原、草津、高崎等)

 何故、岡本のテールがなくなったのか?おそらくS氏の輪行についていったのではないかと思う。
それしか考えられない....志賀高原をおりる際には私の班はトップではなかったのだが
ここらで急遽先頭ということになっている。それはなかしょう氏がいることで明らかだ。
 S氏が抜けたことで班を再構成したとしか思えんのだが.......残念ながらよくわからない。
 もう一度言うがこのときの班構成は飛来→ひらの→私→なかしょう。

 ここで私は飛来氏のハイペースについていけなくなりどんどんちぎられていった。
終止なかしょう氏と走りつづけたと思う。実は志賀高原をおりたあとだというのに
また峠があったのだ。もうすでに息があがっていた........
 今井峠というのであるがそれでも700mである。もうたまらんの一言であった。
峠になんかよくわからん大理石造りの建物があったがなんなんだろうよくわからなかった。
多分なんかのテーマパークかなんかだと思ったんですが真相は謎です。
 そこから少し下ったところに川があってそこを迂回するように道が下っていました。
この辺でようやく山をすべて下り切ったのではないでしょうか.........
この川って後でわかったことなんですけど利根川だったんですね....知りませんでした。
 そこから17号線を川ぞい、また線路ぞいをつたいながら南下していきました。
この辺のイメージは山あいの道って感じでしょうか。しかし山は完全に下り切ったという
イメージはありましたね......S氏はこの線路をつたっているのかと思いながら。
 南下している間にとあるコンビニで休憩した......がここで謎がもう一つ....
岡本がいるのである?ここで岡本がアイスを買ってよいという決断をしたのだ。
...とするとさっき言っていたことはつじつまがあわない。何故班を再構成したのか?
まったくもってわからない.......
 それにしても時代は変わったものである。私らが一回のときは先輩に4時半起きだとか
言われていた時代はいったいどこへいったのか?今では先輩後輩の関係もないくらいだし。
まあこれが良いのか悪いのかはわからないが、両方を体験していることでより深い面で
ツーリングを知ることが出来たのではなかろうか。

 自信はないが、5日目に寝た場所は渋川市の利根川河川敷と想定するがもしかすると
吾妻川側の方であるという説もある。ここの河川敷はけっこう整備されていて
四万十川の事件(四国合宿参照)みたいなことはおこらないと言えた。
現に逃げ場もしっかりありましたし........しっかりコンクリート塀などで整備されていました。
周りには運動場やテニスコートがあって比較的しっかりしていたと思いました。
 テントの場所は河川敷上の公園だった。ちょっとしたトイレなどもあり公園としては
まずまずであったといえる。最もトイレは移動式のアレだったが........
 この日はまあまあ走った日であったので到着もおそらく夕方ごろに違いない。
ついてからは各自好きなことをしていたような気がする。おそらく公園で遊ぶとかしていたのだろう。
S氏もしばらくして合流した。(S氏はどこからどこまで輪行したのか詳しくはわからない)
S氏はあいかわらず自転車のことを気にかけている様子だった。おそらくこんなボロボロの
自転車で志賀高原を登りおりしたことはとんでもないであろう話をしていたと思う。
 しかもパンク修理についてはまだ終わらせてなかったらしい...いったいどうやってここまで
来たのだろうか。ついに「いかじゅうさんパンク修理お願いします」と頼まれてしまった。
まさか私が人に自転車メンテを頼まれるなんてことになろうとは思ってもいませんでした。
 なんつーかS氏はこういったこととかはてんで不器用で、チャリダーなら最低限できなければ
ならないパンク修理についておろそかであったようです。
 それよりも私が思ったのはこんな装備で走られたらこまるということ。
借りにもクラブ全体の行動であるので一人がこんないいかげんな装備状態だとクラブ団体として
軽く見られていると思われても仕方ない.....こんないい加減な気持ちで乗られた自転車もちょっと
可哀相ですし。そもそも大事に乗れば支柱があんなぐにゃぐにゃになったり折れたりせんでしょ。
....まあチャリダーとしてはこれは見のがせない事実であったかと思います。
 そういえば昔、私が装備が全然なっていないときに幾人ものチャリダーに指摘されましたが
そう思われていても仕方のないことだったかもしれません。
 Sさんは最後までチャリダーにはなれなかったということになります。というか今回の合宿で
それが浮きぼりになったのかもしれません。彼のチャリはこの後どうなったか考えると
ちょっと不安になります....スクラップなんてことも!?

 話は変わりますが、S氏とはツアーしたかったですね。合宿でしか同行していなかったので
これは心残りの一つです。実現の可能性があったとすれば2回の北海道合宿の後くらいでしたか....
あれって以前、私がツアーをする計画があってS氏は乗ってきたのですが、そのとき私は
北海道へ残らずにどこかちがうところをまわろうかなぁとか思ってたのであっさり却下されて
しまったのです。
 後日、あの辻井さんともあって「北海道は見ておくべきだ」と後押しされ行こうかなと
いうことになったんですが、まさかこの後、数回ツアーをすることになろうとは思いませんでした。
 これが最初で最後のチャンスであったかと思います。あと合宿帰りなどのツアーにS氏をさそったり
したものの実現にいたることはありませんでした。S氏とはツアーらしいことを一度もすることなく
終わってしまったのですが、もし実現していたとしたら印象的なエピソードが産まれていたと思う。

 晩飯のころになると隣のテニスコートも照明を消して薄暗くなって日が暮れるとともに
だんだん暗くなってきたと思います。しかもこの辺、針葉樹が取り囲んでいるので比較的
街の灯があたりにくいところもありましたから。

 飯の時だったと思うが、そのときは周りは真っ暗になっていてフォーカスがないと
まともに食事できないという状況でした。そんな中誰かが(たぶんひらのあたり)公園のベンチ
に誰かいると言うので、その針葉樹が生い茂っている不気味な林の近くにある。
 そのベンチに何か人陰のようなものがいる...とのことだ。
 なんかうちのクラブってオカルト好き???まあネタとしては面白いと思いますけど。
 たしかにここから見ると見事に人の影が見えかくれしているようで錯覚にしては出来過ぎだった。
 しばらくこの話でもりあがっていたが、飛来氏が急に『おいS。おまえちょっと見てこいよ』
と......もちろん幽霊嫌い(!?)のS氏がそれを承諾するはずものなく躊躇した。飛来氏が一喝!
『おまえ小学生か!なんで見にいけんのや!』という感じで口撃。『いいよ、別に小学生で......』
かなり意地のはりあいみたいになってきていた。S氏も開き直るくらいなら見に行けば良いのに。
 これってあとで飛来氏と壮美氏の特攻部隊(?)が調べにいったところ。ベンチ前にあった
木(?)がわずかな照明の光にてらされてそれっぽく見えているというものであった。
 ネタにしては出来過ぎの幽霊であった。
 解散後は河原を散歩したり、附近のコンビニへいつもどおり行ったと思う。
まあ、合宿とはいえ解散後はいつもどおりといったところでしょうか。

 6日目は快晴であった。とても暑い日であったと思う。走行距離はそんなになかった。
というか昼前までしか走っていないと思う。昼前に場所交のため群馬町役場に立ち寄った。
そのときは気温もそうとう上がっていて日射病になりそうなくらい暑かった。
もうたまらず役場で涼んだように思う。そして役場内のお茶を拝借...........。
 この役場で教えてもらったかどうかは定かではないが近くに手ごろの公園があるらしい。
 公園は日本庭園を彷佛とさせるような造りであって堀や小川にくわえて松なども植え込まれていた。
ってこんなところでテント張っていいの?丁度管理人のおじさんがいたので聞いてみると
向こうの噴水の広場の方なら良いときいたので(多分そんな感じ?)そちらへ移動しました。
こちらも地面は芝生だし道もきれいに整備されているきれいな公園でした。
 公園の中心には大理石でつくられたと思われる噴水のオブジェが.........
公園というか広場に近いような感じがしたと思います。各自の自転車はベンチなどに立て掛けた気がする。
 まあここでテント張ることになったので、昼すぎには解散になって自由行動になりました。
 そこからは各自、ばらばらになって行動していたと思いますが、私はS氏がパチンコ店の休憩所が
ちょうど涼むのが良いといっていたのでそこへ行くことにしました。
 このパチンコ店の休憩所はソファがあってTVを見るスペースもあるのでけっこう良い感じでした。
食べ物も売ってますしね。夕方近くまでここにいたと思います。
 他の人はどこへ行っていたのか知りたい気もします。
 晩は何を食べたのか覚えておりません。というか合宿メシだったのでしょうかまったく記憶にない。
そういえばS氏がパンツを履き替えるといって木陰の方へいきましたが、それを壮美氏と飛来氏が
嗅ぎ付けて写真を撮ろうとしたことはありましたね。というか現像できるのでしょうかんなもん。
 晩は近くのゲーセンに行ったりしてもうみな解散モードって感じでしたね。私は次の旅のことも
あるのでコインランドリーで洗い物をすることにしました。このコインランドリー、ゲーセンの
となりにあり洗っているあいだにゲーセンに行ってました。
 そして、私は毎回恒例のパチゲーをやっていたわけなんですが..........
 まあ、周りの人間のほとんどはこのゲーセンに集まっていたかと思います。

 コインランドリーは私の他になかしょう氏とS氏が洗っていたのを知っています。
というのもこのコインランドリーの帰りに何故かS氏は我々を誘ってくるわけです。
私はまだ洗濯物を脱水しきっていないのであとで帰ると言ってましたが、やたらS氏は共に帰ることを
急かしていたのです。....一人で帰れば良いのに。
 思い当たる節はありました。それはこの場所からコインランドリーまではあまり距離はないものの
途中に墓地があるのです。しかも路地であるため薄暗くちょっと無気味でありました。
 S氏のこと...一人でこの墓地を通過して公園に戻るのが恐怖だというわけです....ハイ。
 彼はなかしょう氏を急かして帰りましたが..............う〜んまさか夏の夜の出来事が連日におこるとは。

 さてけっこう遅くなってテントに戻りましたが、やはり外で寝ようとする人は多かったですね。
夜は天気が良くて涼し気でありましたから。しかも芝生の上で寝転がるのも悪くはないでしょう。
 あまりにも外で寝ようとする人が多すぎるため私は逆に一人テントで寝ました。
 せっかくテント張ったのになんかもったいない気がしましたので。

 最終日。このころは私もなかしょう氏もおそらく次の北海道ツアーのことを考えていたのでは
ないでしょうか.....というかもうこのことしか頭になかったかもしれません。
S氏なんかはやっと終わった〜みたいな感じでしょうね。
 それとは裏腹、これがおそらく合宿最後の寝泊まりということで切ない気持ちもありましたが
このような綺麗な場所に泊まることが出来てよかったと思っています。
そんな気持ちもあったからなのでしょうか?公園内のゴミ拾いをしておきました。
みなのゴミを拾ったりするとけっこうたまるものだなぁと思いましたが...........

 さて出発時は工事用ヘルメットにタオルをはさんでまるで消防士のような格好でしたが
みなに指摘されるのをおして行きました。後々このヘルメットはゴミになりました(笑)
まあ詳しく話すと紛失ってことになるのでしょうか。
 記念すべき最後の班走行ですが、私はハンリでした。そして桃井とよねしげ氏が同じ班だった。
最後ということで力んだのかどうかは知りませんが、道を間違えてしまいました。
 そういえば前の班が後ろの班が道を間違えないように交差点などで待っている行為がありましたが
あれってなんて言うのでしたっけ。忘れました.......あれって当時コウリであった飛来氏が私の前の班で
したが、目的地の高崎駅の場所は間違えないであろうと思っていたそうです。
 このとき高崎駅を行き過ぎてどこまで言ったのかあまり覚えていませんが、ももい氏に指摘され
やはりおかしいなと感じました。おそらく上里町あたりまで行っちゃっていた気がします。
 急いでハイペースで戻りました.......最終日なのにバテてしまいましたから。
 ついたら3班もすでに高崎についている様子でした.....
 その後は一時自由行動になったわけですが、いらない荷物(団装とか)を宅急便で送ったり
するのを手伝っていたりしたのであまりゆったりした行動はとっていないと思う。
 ちなみにこの日はなかしょう氏と風呂屋へ行ったと思われるが、それ以外のことはあまり覚えていない。
 まあ、あまり大したことをしないまま夕方を迎えたと思います。その後は高崎駅の向こう側に
移って噴水広場に自転車を止めたと思われます(全員ではないと思うが、全員が東口にまわったのは
たしかなようだ)なんか誰かがふざけあって噴水に落とし合ったりしていましたが誰でしょう?
ちょっとこの辺、連名はいってましたし........。私は餌食にされたくないので逃げました。
 その他はコンビニいったりとかありきたりなこととしか覚えていないしネタもない。
恒例の飲み会も場所すら覚えていません。私とひらのの一気のみ対決くらいしか..........
 晩は新潟行きの列車に乗らなければならないため、さっさと輪行して準備しました。
まあ、他の人の多くは明日の列車で帰るだろうから、私が一歩早く出るというわけですか。
 ちなみにどこへ行くのかというと北海道です.....................信州でけっこう疲れていたかもしれませんが
やはりこれを楽しみにはしていましたからね〜ある意味ここからが本番なのかもしれません。
みなに別れを言って、ムーンライト越後にて新潟へ向かいました。
 ちなみにこの間は泥酔状態で気持ち悪かったのを覚えています。こんなので北海道大丈夫か?

(99年北海道ペアラン日記へつづく)
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